東日本大震災活動報告  倉敷支部 橋本真治

岡山県歯科医師会会報
2011年7月号 掲載原稿

このたびは県歯のバックアップのもと、自分にとって貴重な経験となる活動をさせていただきありがとうございました。私は25歳の時の御巣鷹山航空機墜落事故や35歳での阪神淡路大震災の当時は、自分がそこに行って働くことに思い至りませんでした。しかし後々詳細を知るほどに、もし再び大災害あらば絶対に何かしようと決めていました。

はたして3月11日東日本大震災が起きました。出身大学が岩手ということもあり、なおさら現地には思い入れがありました。当初は生存者に初期支援をしたく、15日岩手県警に検視業務とひきかえで高速通行許可を願い出ましたが無理でした。せめてもと日歯からの派遣リストに登録し、報道を見るたび悔やむ気持ちの中2ヶ月が経った頃、やっと岡山にも出動要請が参りました。

現地にはテレビで何度も見た悲惨な光景がまだまだ広がっていました。津波の特徴で、水の届いた高さや道路を境に、かたや滅茶苦茶、かたやほぼ無傷という明暗のくっきり分かれた被災の在りようでした。けれど自分の目で大都市の仙台市街や周囲の里山の田畑が立派に機能しているのを見て、日本中が力を合わせれば今回の被害は必ず支えられるという確信を持てました。

検視作業が始まると、私が欲しいと思った器具を絶妙のタイミングで器具出しアシストしてくれる警察官や、腐敗したご遺体の、泥や小枝が絡みついた頭髪を愛しむかのごとく漉くようにして洗い、口元にあふれるウジを流しブラッシングしてあげる若い警察官の姿に、感謝の念とともに彼らの2ヵ月間にわたる苦闘の日々を思わずにはいられませんでした。またホテルは被災地の復旧のために全国から集まったいろんな分野の作業員でいっぱいでした。毎朝めいめい散っていっては同じ頃疲れて帰ってくる互いに名も知らぬ人々の間には無言の連帯感がありました。そんな人々の中に、微力ではありますが自分もいられたことを本当によかったと感じております。